「嵐の中の希望」 07.05.06
使徒言行録27:12〜38
望みどおりことが運ぶと考えて出発したローマに向かっての
船旅でした。しかし、船は嵐に巻き込まれ、ついに助かる
希望も消えうせ、絶望的な状況になりました。しばしば聖書は、
鏡のように私たちの姿を映し出します。この嵐に出会う船の
ような姿も、私たち自身の姿と無縁とはいえません。
私たちの人生も嵐に巻き込まれることがあります。
クリスチャンは、人生において一切嵐に出会わなくなる、
というのではありません。大切な荷物(持ち物)や、船具
(人生を進める手段)を投げ捨てなくてはならない出来事に
直面することがあります。
この場面では、パウロ自身は危険を予測して避けようと
していたにもかかわらず、他の人たちの決定によって嵐に
巻き込まれます。
そのように、他者の過ちによって、絶望的な状況に
巻き込まれることもあります。
嵐の中でどうするべきかが、この場面のパウロの姿に
現されています。それは、礼拝をする姿でした。
望みの消えうせようとしている時にしていたのは、礼拝でした。
そこで、神さまの「恐れるな」との言葉を聞かされました。
私たちの人生という船旅も、神さまの言葉を聞きながら進む
ものです。このことが決定的に大切なことです。
それによって、絶望的に思えることに直面したとしても、なお
旅を進めていくことが可能となります。嵐の中でも、神さまによる
希望を与えられるからです。もしも、私たちが神さまの言葉を
受けることなく、自分の人生を進めなくてはならないとしたら、
そんな恐ろしいことはありません。
さてこの船旅には、パウロだけでなく多くの人たちが同船して
いました。神さまの言葉を聞き、希望をもって進むパウロの
存在が、276人の命を救っていきます。
神さまは、一人の信仰者だけでなく、その人に結びつける
ようにして、他の者を救われました。
私たちが礼拝を重んじ、み言葉に聞く信仰者としての人生を
送ることは、周りの人たちに祝福と救い広げるのです。